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強烈な英語文学の「翻訳」体験談

現在30代後半の主婦です。

大学の時、イギリス古詩の授業をとっていた経験があります。英文学科ではなかったのですが、たまたまひいきの先生が新しく分野を開拓する、というので応援のつもりで通っていました。そこで、とても古い詩の翻訳をしてみましょう…という課題が出ました。

そもそも詩自体にあまり造詣がなく、知識もなかった私は、ごく扁平な翻訳をつくり、授業に持って行きました。ただ単に単語単位で日本語の意味に置き換えただけのパズル、といっていいでしょう。意味はわかっても風情は感じない、つまらないものでした。

そして授業で私は衝撃を受けました。ある女子生徒、この人は日本文学の専攻だったのですが、イギリスの古詩を万葉集的な古文表現で翻訳してしまっていたのです。

ゆっくり読んでもらわないとほとんどついていけないような難解なものでしたが、そこにこめられた彼女なりの薫りはしっかりと感じ取れました。私は心から彼女に喝采を送りました。

翻訳、というものは言語間の置き換えではなく、新たに自分というフィルターを通して表現し、再現せしめる行為である、ということを思い知ったのはこの時です。